電脳導火線 はてな

自称アーチストの垣内政治が自己プロデュースする「電脳導火線」にまつわる、あんなことやこんなことを面白おかしく綴ったブログです。

電脳導火線 はてな その3

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自分が「電脳導火線」の母体でもある

「導火線」というバンドを結成したのは

ライフワークである

みんなしあわせになれプロジェクト

の合間での発散のためであった。

 

とかく「みんなしあわせになれ」という大風呂敷に対しては

賛同者よりも、批判的な見方をする人数の方が多いものである。

 

ぶっちゃけ自分も、こんな肩の荷が重いことには

関わり合いになりたくはなかったか、

何の縁だか知らないが、か弱い身分で、

こんな看板を掲げて立ち上がらざるを得なくなった。

 

その裏側には、やはり善悪に関わらず、

神霊界の実在を体感することが出来たというのが

大きな支えであったのだが、

何故自分が?…ということについては、

長らくの疑問であったから、

その疑問に対するストレスやフラストレーションを

ハードロック・フリーセッションで派手に発散して、

ついでに「導火線」を起点に、

世の中も、ド派手に発散させることが出来たら

こんな楽しいことはないと思ったからである。

 

そういう意味での「導火線」を目指したのだ。

 

しかし、バンドのメンバーには、

そういう「どっこいしょー」な信条は伝えてなかったので、

このバンドの活動は、なかなか思うようには進まなかった。

 

実は、なんで自分が?の部分は、

既に「みんなしわせになれプロジェクト」奮戦記を

書き続ける中で解決済みだった。

 

それは、戸籍上は垣内という姓を持っている自分だが、

実の親が後藤だということを

育ての親から告白されたことについて

自分で調べていたら、後藤の祖先である藤原つながりで、

地上天国建設の大本である出口王仁三郎聖師と

遠い血縁があることが理解できたからである。

 

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「みんなしあわせになれ」などという

神々しい活動をするためには三種の神器が必要だ。

 

それは、草薙の剣、勾玉、鏡、というものではなく、

霊統、道統、血統の三つが揃うことである。

 

自分は、霊統と道統の一致については

断然自信があったが、血統の一致については、

勉強不足で、まったく不明であったのだ。

 

それが、あまり好きにはなれなかった

後藤の由来を調べているうちに判明したわけだ。

 

これくらい自分は、勉強嫌いの直観人間だった。

 

しかし、元々、自由・平等・平和主義者であるので、

そういう権威づけの根拠みたいなものを看板にして、

仲間を圧倒しようというカリスマな態度というのが、

どうも苦手であったので、

いわゆる「王の態度」に徹することが出来なかった。

 

これは実に、指導者としては頼りないものなのだが、

幼い頃から、比較的貧乏な家庭環境で育って来た自分としては、

どうも、お血すじなどをひけらかして横暴に振舞うようなのは

いけ好かなかったのである。

 

ここで貧乏な家庭環境ということについて

育ての親の名誉のために弁明をしておくが、

育ての父親は決して愚人だったわけではない。

 

自分の育ての父である故垣内博は、

故郷の和歌山県では、近隣から将来を期待される

元良家の出だったが、自分のおじいちゃんに当たる人が

どうも事業に失敗して家を潰してしまったらしく、

その為、育ての父の兄弟姉妹は散々な苦労をしたらしい…

 

学校も満足に上がられず、

養父は尋常小学校を卒業するとすぐに奉公に出て、

家計を支えようとしたが、

おじいちゃんが娘をひとり里子に出したことに立腹し、

残った弟と妹を連れて、おじいちゃんを見捨てて、

和歌山から神奈川県横浜市まで出稼ぎに来たそうだ。

 

汽車賃も満足に持たない逃避行だったので、

チャップリン映画のような小ズルいことをやりながら、

今のJR石川町までなんとか辿り着き、

寿町を足場にすることになった。

 

寿町は、劇画「あしたのジョー」の矢吹丈が流れ着いた

大昔の東京の山谷のような、のんべードヤ街だったが、

仕事を求めて流れ着いた戦後の日本人の集まりで、

実はバイタリティーの塊のような街だった。

 

今はかなりキレイになったが、まだその名残はある。

クルマで通り抜ける時は、癖で当り屋に気をつけてしまう…

 

そんな労働意欲に満ち溢れながらも、酒に荒んだ町で、

養父が最初に出会った和歌山出身の会社社長に、
養父はとても気に入られ、

船舶塗装の営業兼人集め兼職人部隊を任されることになった。

 

実に幸運な後ろ盾を得た養父。

 

生まれた直後の自分が、そんな養父にもらわれ

戸籍上の長男になったのも、この時期だったそうである。

 

しかし、そんな養父が、

ずば抜けた営業能力を発揮していた矢先に

その社長が急死したため、

他に頼る後ろ盾がなかった養父は

やむなく一人の船舶塗装職人として、

時には競馬やパチンコで家計を補いつつ、

自分を育ててくれていたのである。

 

オトコギは充分にあったが、

自分はなんだかそんな養父が可哀そうだった。

 

才覚があっても、学歴のある後続達に追い抜かれ

随分悔しい思いもしていたらしいから…

 

養父は何も語らなかったが、直観的な自分は、

 

「今の世の中は金の使い方が間違っている」

 

と思った。

 

こんな不公平な世の中に、

神も仏もあるもんか!…とも思っていた。

 

しかし、十八になってバイト先で恋をしたことがきっかけで、

自分は心霊を体験することになった。

 

だが、その善悪の判別がつかないので、

道を踏み外さないように必死な思いでもあった。

 

自分の選択が間違っているなら、

自分を消してしまってくれと思いながら、

「みんなしあわせになれ」という看板に立ち向かい続けた。

 

結果、出口王仁三郎聖師に辿り着き、

今の世は、けっこう豊かで楽しいが、

まだまだ根本問題が解決していないことを思い知らされた。

 

そして、世の中の支配者さん達は、

根本問題が解決されることを望んでいないこともわかった。

 

それでも、どうにも逃げられない宿命というのがある。

 

自分がその重圧を景気よく発散するには

ハードロックをやるのが最も平和な選択だったのである。

 

導火線に協力してくれたメンバーには

なかなか告白できない本音だったが、

いちいち説明するのが面倒なほど

バンドセッションは楽しかった。

 

 

今日はちょっとだけ重い空気になりましたが、

これは、そんな「導火線」の楽しいライブでの一コマです。

気分転換に、どうぞ、一緒に楽しんでくださいね。

それでは、またあした。

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